石の上にも三年といいますが、
石の上に
と、書けてしまうジェネレーターを発見。
操作があまりにも簡単なので、
思わず、校正用語を入力して遊んでしまいました。
モーツァルトとかキャラメルとか、入っていない単語まで一瞬見えてしまう不思議。
「トルツメ」は、本来「トル」だけでいいって話ですけども、
「トル」と書いて「トルアキ」に組まれてしまったことがある自分は、「トルツメ」派です。
ところで、「トルアキ」って男の子の名前みたいですよね。
「トルアキ~、ご飯よ~」
この字を見るたび、そんな声が聞こえてくるような気がします。
呼んでいるのは、もちろん「トルママ」。
親子なので二人はそっくり。同じです。
同じ、といえば、校正には同じじゃないものを探す仕事がありますね。
特に学参は多いってウワサ。
自動で表記統一してくれるソフトがあるみたいですけど、
使っている会社はどのくらいあるのかな。
あらかじめデフォルトの表記リストをインプットしておいて、
このキーを押すと、ドラッグした範囲内すべての表記が統一できちゃうとか、
おまけに、
形式まで一瞬にそろえられるとか。
そんな機能があったらいいな、できたらいいな、ドラえもん。
でも、表記とか形式以前に、
ていう内容のゲラもときどきあって、
衣着せぬ歯で噛み付くこともあったりしますが、
本音は、
やっぱりセンスがものいう仕事だと思うので。
そんな苦難がつきものの編集の世界で、
表記形式の不統一より、原稿の不出来より、もっとずっと怖いのが、
全部先祖返りならまだいいんです。
部分的にあっちこっち先祖返りしているのに、
そのあっちこっちがどこだか誰にもわからない、となると大惨事。
みんなで悲鳴を上げながら、てんてこダンスを舞い踊るよりしかたありません。
大勢で寄り集まって制作している割には、孤独感のあるこの仕事のなかで、皮肉にも強い結束が生まれる瞬間でもあります。
皮肉といえば、執筆も原稿整理もいいとこなしのゲラだと、
疑問出しがついシニカルになってしまうのが困りものです。
指摘というより、もはや説教。
余白で足りなきゃ、別紙を添付。
……あれ?
こんなヒステリックな校正している人、そういえばほかで見たことない。
もしかして、
いっとう怖いのは、こんな校正をしている自分だったりして。